彩のChii-Kura記~☆

猫と小さく暮らす旅行業アラフィフの独り言

【Run!Run!】50代の私が走る理由

f:id:sai-no-chii-kura:20200630162158j:plain

先日、Amazon prime Videoで昔の人気ドラマ「愛していると言ってくれ」を見て、つい最終回まで全話見て思ったんですが、このドラマ、本当に主人公の二人が良く走る。

駅へ、ホームへ、

互いの住む家へ、待ち合わせ場所へ、

別にここで走らなくてもいいだろうって場面でも、なぜか走る。

 

まぁ、TVドラマだから (;^ω^)。

急く心や高まる気持ち、相手への想いの強さを視聴者に伝えるのに、「走る」って行動で見せるのは、確かに分かりやすい。

それでなくてもすれ違いが多くて、観ていてハラハラするドラマなのに、すれ違いに気付かず走る姿に胸キュン感が増殖されるから、効果は確かだ。

(5時間も見続けて、無作為な自分が凹んだ話はこちら…)

sai-no-chii-kura.hatenablog.com

 

実際は、人は日常生活でこんなに走ることはない。

信号が赤に変わりそうでも、ホームに登る階段の途中で発車のチャイムがなっても、走って間に合わそうとする人はそんなに多くない。

 

でも、子供は走るよね。

日常生活の中で、嬉しい時とか怖かった時とか、わくわくしたり興奮しても走り回ったりする。

走るってことで、気持ちを発散させたり、落ち着かせることができるんだろうと思う。

そう思うと私が走る理由も、子供のそれに近いかもしれない。

 

=======================

私がランニングを始めたのは、47歳からだ。

最初に走ろうと思った理由は子供のそれとは違い、もっと下卑た話で、中年体型に変わっていく自分が怖かったから。

お風呂を出て、鏡に映る姿に、言いようのない嫌悪感を感じて、自分自身が変異していくことが堪らなく怖くなった。

若い頃は、何もしなければ、EVEN「0」、やれば「プラス」になったのに、

中年になったら、何かして、EVEN「0」、何もしなければ「マイナス」。

それに気付いたら、何かしなければいられない焦りと不安で走り出した。

 

子供の頃から運動神経ゼロの私だ。最初は1kmで息が切れ、iPodで1曲走っては休み、また次の1曲分走るのがやっとだった。

ペースは見ていなかったけど、おそらく8分/1kmくらいかかっていただろう。いや、もっと遅かったかもしれない。

1回で3Kmくらいが精一杯だったし、毎日なんて走れなかった。

 

=======================

48歳の時にガーミンのランニングウォッチを誕生日に貰った。

GPSで走行距離とペースが正確に測れるアスリートウオッチは、微々な進歩でもちゃんと「出来るようになった」ことを記録してくれる。

大人になって何かが出来るようになることを自覚することは難しい。

それを感じられるのが嬉しくて、走っていたような気がする。

 

=======================

そのうち、iPodで音楽を聴かなくなった。

周囲の音を聞く方が、イヤホンで音楽を聴くより楽しくなったからだ。

季節ごとの鳥や虫の声、風の音や、人やモノが行き交う音の方が、音楽よりずっと心地良い。

どうしてこんなに気持ちのいい音が周囲にあるのに、みんなイヤホンで耳を塞いでいるんだろうと不思議に思うようになった。なので、iPodを止めた。

 

=======================

走っているうちに、次第に、走るという動作が身体のどこを使っているのか感じられるようになった。走るのは脚でだけれど、脚で走っているんじゃないと気付いたのだ。

走るという動作で前に進んでいくのは、

 

・腕を振ることで上半身を前に引っ張る

・背筋と腰の筋力で上半身を持ち上げる

・着地した足裏で地面を押さえ、腰で体を前に持っていく

・後ろに蹴られた脚を殿筋で引き寄せる

 

そのような感覚が、走る推進力になっていることを感じるようになった。

 

気取った言い方をすると、自分の身体の声が聞こえるようになったって感じ。

そして、それを意識して走ると、確かに距離が延びるしペースが良くなる。

それが、また楽しくなった。

 

スポーツでも勉強でも芸術でも、必要なのは、まず練習と理論だ。

理論を理解して練習を続けられて、そのうえに、天賦のセンスや身体能力を持っている人を、才能がある人というんだと思う。

一般ランナーがアスリートランナーのように2時間台でマラソンを走り切ることは、考えることが申し訳ないほど遠いハードルだが、完走のみを目標とするならば、練習と理論を積み重ねで、どんなにスポーツが苦手な人でも、きっとできる。

練習は裏切らないし、やったこと以上の結果は出ない。それがハマった理由だと思う。

 

=======================

40代になってから、公私とも色んなことがあり、本当に色々だった。

50代になった今も、進退迷うことも悩むことも、悲観することも、自己嫌悪で眠れないことも、誰もいない家で声を出して泣くこともある。

 

長い距離と時間を、ある程度のペースで走るのは、もちろん楽ではないしキツイ。

が、この楽じゃないキツさが、日常が辛い時、心に良いような気がする。

私の自論だけど、人は2つ一度に辛がれないと思っている。

だから、走る辛さを感じている時は、それ以外の辛さを感じないで済むのだ。

走るキツさだけを感じて、先に進むことだけを考えて、頭の中を空白にして、自身の呼吸を聞きながら、機械になったように規則的に身体を動かし続ける。

そうすると、日常生活の悩みや不安や辛さから、解放されるような気がする。

 

走るってことで、気持ちを発散させたり、落ち着かせることができるんだろうと思う。

今の私にとって走るとは、スポーツとか健康増進とかじゃなくて、瞑想に近いのかもしれない。

 

話がやっと子供の走る理由に戻ってきた(ホッ)。

あー、良かった、話が逸れたままじゃなくて。以上、50代の私が走る理由でした。