彩のChii-Kura記~☆

猫と小さく暮らす旅行業アラフィフの独り言

【禍福は糾える縄の如し】コロナだって辛いばかりじゃない!甥の旅立ちを見送る

昨日、大学卒業後、半年遅れで就職する甥を見送ってきました。

 

10月の今、新卒で就職? 

えーっと、一応ですね…、

甥のメンツのために言っておきますと、彼の就職先は公職でして、

本来なら4月に、職業訓練のための全寮学校に入校するはずでしたが、

コロナの感染防止のため、半年遅れの入校になったからです。

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※お手製料理で最後の昼餐です

いーちゃん、あーちゃんと、お孫ちゃん

最後の昼食は、甥のリクエストで、

いーちゃん手打ちのお蕎麦とあーちゃん手製の茶わん蒸し。

 

いーちゃん」はおじいちゃん

「あーちゃん」は、おばあちゃんのことです。

言葉を覚え始めた頃、

「おじいちゃん、おばあちゃん」と上手く言えなかった甥の呼び方が、

そのまま両親の呼称になりました。

 

会話の中では、甥の小さかった頃の話が飛び交います。

 

彼がまだ、4歳か5歳だった頃、

父が打った蕎麦を一口食べるなり、いきなり大きな声で、

いーちゃんのお蕎麦、美味しいっ!」と言った時のこと。

目を見開いて演技力満点で褒めちぎる姿に、一同ビックリ!

「ちょっと、だれよ? このリアクション教え込んだのは?」と横目で私、

「違う違う、俺、仕込んでないよ!」と慌てて否定する弟、

そんなエピソードが笑いのネタになります。

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 ※ピンぼけで残念、父手打ち蕎麦

もう一つ、幼かった甥のヒット発言は、

「夜朝(よるあさ)」

冬の薄暗い朝、背中におんぶした甥に「おはよう」という母に、

「どうして夜なのに、おはようなの?」

と、不思議げに聞いたあと、納得したように一言。

「あーちゃん、それじゃ今は、夜朝だね」

 

暗いから夜だけど、おはようと言われるから朝、

なので暗い早朝は、朝でも夜でもない「夜朝」というわけ。

すっかり大人になった甥は苦笑いをしますが、

いかにも子供らしい解釈が、今や我が家の語り草となりました。

 

そんな子が、いつしか成人式も過ぎ、大学も卒業して、もう社会人。

 

コロナだったからこそ、オマケの半年に感謝!

コロナがなければ、大した時間も持てずに、

大学卒業の勢いのまま、あっという間にいなくなってしまったでしょう。

それが、Stay Home・自粛のおかげで、

なんと半年も長く一緒に過ごせたのは、最高のオマケです。

そして本当に良かったと思うのは、

そのオマケの半年で、高齢の両親に孫と離れる心の準備ができたこと。

 

私自身もコロナがなかったなら、

Olinpic Yearだったはずの今年、文字通り殺気立った忙殺の中にいて、

甥の新しい人生のスタートを、こんな風に見送ることはなかったに違いありません。

 

家族は時間と共に変容していくもの・・・

 

55年前、両親が結婚して、私たち姉弟が生まれ、

新しい家族を迎えて、孫たちが生まれ育ち、家族の人数が増えて、

そして、今、その中の一人が、巣を離れていく。

子供はいつか必ず、家を出て社会の一員になっていく、

その当たり前をきちんと思い出に留められたのは、コロナ禍のおかげです。

 

「禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし)」

この禍、悪いことばかりじゃないな、と最近。

「良きこと、悪しきこと」、それを全部ひっくるめて「ものごと」ですものね。

 

禍福は交互にやってくるもの、まさに、

「禍福 縄の如し」

です。

 

時の流れが、縄のように「禍」と「福」で縒られているのなら、

きっと禍の中にも、福が紛れているでしょう。

その小さな福を見つけて拾って、日々を過ごしていくうちに、

きっと、いつの日か、縄目が福になっていくのかもしれません。

 

そんなコロナ福に向けて、甥っ子の新生活出航です。

風雨波乱があっても、乗り切ってと伯母は願ってます(^.^)/~~~