将棋は全く分からないのだけれど、それでも藤井聡太7段が史上最年少タイトルに近づいていることは、ニュースで見てすごいなぁと思う。
17歳かぁ。。。
棋聖戦の2局目、小さな将棋の駒を一手、一手進めて、対局時間9時間半。
その集中力が凄いと思うのに、加えて、終了後のインタビューで、疲れや感情を表面に出さずに、淡々と感想を語っている姿が、さらに凄い。
たった17年間の学習経験で、何をどう積み重ねたら、こんな風に通常人の何倍もの判断力と先見と、自己の思考の制御力が身につくのか、と未知の生物に触れるような気分になる。
それも、ふんわりした雰囲気が若々しい、ちょっとおちゃめな感じの生物。
いや、もう、おばさんには、はにかんだ笑顔も可愛らしくて、現棋聖には申し訳ないけど、藤井君を応援してしまう(苦笑)。
そんな将棋のニュースを見ていて、かつて昔、
「手が無いと思う時の対処法」を教えられたことを思い出した。
ある企業の国際コンファレンスをやった時のこと。
場所はアメリカ・サンフランシスコの某ホテル、世界各地からの参加数は800人。
なのに、上長クラスは、みんな企業側の役員やらVIPやらに付きっ切りになってしまい、現場コントロールをマルっと丸投げされた我らペーペーは、ありったけの過去の経験をかき集めて、拙い英語で、無謀にも800名のオペレーションに苦闘していた。
毎晩、部屋に戻るのは、深夜2時3時。
シャワー浴びて着替えて、数時間死んだように寝て、また現場を走り回る日々。
それでも何とかイベント日程を無事終え、あとは参加者を帰国させるだけになったところで、想定していたオペレーションが組めない問題が起きた。
参加者の帰国便は直近でジャカジャカ変更されている、登録された情報の精度も悪い。さらには、想定していた体制に人員シフトの関係で協力できないと、急にホテルのベルデスクが言ってくる。
寝てないのに、疲れているのに、頭働かないのに、何の解決策もないのに、
参加者を空港へ送り出さなきゃいけない。
レターを部屋入れしなきゃならないし、ヘルプデスクに案内掲示もしなきゃならないのに、案内内容の着地点も分からない。
今なら多分、分かる。
参加者の帰国便がどれほど直前で変更されるか、個人が登録したデータの精度がどれほどで、どれほど疑ってチェックする必要があるか…
現場で「おかしい」と気付いたら、何を確実にして、何を諦めればいいのか…
今なら、きっと判断できる、けれど、その当時の私には、それができなかった。
自分たちがこんなに悩んで身を削ってオペレーションしているのに、それを放っておく上司にも無性に腹が立った。
「これを解決するのは私じゃない、責任ある役職者がすればいいんだ」
「もうどうにもできないんだ。投げ出してやる」
と自棄になった。
そこにマネージャーの一人、サムさんがやってきて私に声を掛けた。
サムさんの本名は「オサム」なのだけれど、現場では、みんなサムさんと呼んでいた。
「悩み事がありそうですね、人生相談に乗りましょうか?」
冗談を返すことができず、キッとなった私は、すかさず、
「人生は自分で解決できます。乗って欲しい相談はそんなことじゃありません!」
と噛み付き、限界水位を越えた涙を止められず、
「もう、手が無いんです。打つ手がない」と、泣き泣き現状を訴えた。
訴えを聞き終えたサムさんが、冷静に私に言ったのは、
「手が無いんじゃない。キミの取りたい手が無いだけだ」
そして、「でも、でも」を繰り返す私に、
「悪い手なら残っているんだろう。
それならば、その悪い手の中で、一番ましな手を選べばいい」だった。
取りたい手が、一番いいことは分かっている。それが、皆に負担にならず、きちんとしたサービスが提供できることは分かっているが、できないのなら悪い手でいい、というのだ。
そして、その悪い手の悪いところを認識して、どんな問題が起こる可能性があるのか、どんなトラブルになる懸念があるのかを知って、それに備えればいいと。
その後、どうやって帰国オペレーションを乗り切ったのか、実は全然覚えていない。
イベントが無事終了し会場撤収が終わった翌日、
サムさんが「慰労だ」といって、酒好きの私をナパヴァレーに連れて行ってくれて、
オーパスワンやコッポラのワイナリーをハシゴして、
疲労でふらふらした体で、はしゃいでワイン飲み続け、
「よくやった、よくやった」と頭を撫でられたら、気が緩んで酔いもあって、
「ひどいですよ、次はもう少し早く助けてください」と変な泣き笑いになったのは覚えているが…。
あれから、もう15年だろうか、20年近く経つだろうか。
その間、いろんな現場を踏んできて、そのたび、サムさんの言葉を思い出すのだけれど、打つ手がないとお手上げをするのは、今を放棄することなんだと思う。
「手が無いということはない。選びたい手が無いだけだ」
でも、悪いと分かっている残り手の中から選ぶことは、実は、それが一番難しいことだったんだとも思う。
やりたい方法が取れない時、無傷で切り抜けられない時、何を犠牲にして何を切り捨てれば、一番浅い傷でこの機を乗り越えられるのか、その方法を選ぶのは本当に難しい。
もしかしたら、サムさんが私に「よくやった」と言ってくれたのは、イベントが無事終了したこともあるけど、残った悪い手の中から、選んだ手が正解だったからかもしれない。
何も選ばなければ、物事はそこで止まって前には進まない。
「どうすることもできない」ということは、きっと無いんだ。
行きたい方向に道がないならば、残った道の中から、セカンドチョイスをすればいい。
「打つ手が無いということはない」
と教えてくれたサムさんの言葉は、今も私の座右の銘です。