彩のChii-Kura記~☆

猫と小さく暮らす旅行業アラフィフの独り言

【50代旅行業女子の就活(続き)】働くって何だろう…

先月、5月に就活始めた記事を書いてから、はや1か月。

今は6月、結果、現況を白状すると、何にも決まってません。。。

前回の記事が仕事が全部蒸発して1か月だったので、それから1か月過ぎたということは、猫でもできる足し算で合計2か月。その間、私の作業は1円にもなってません。

トホホ・・・

その間何をしていたのかというと、していましたよ、職探し。

お仕事エントリーした数は30件を超えたし、求人派遣元にも足を運んで登録や面接もした。選り好みしているのだろうと言われれば、全く違うとも言えないけれど、けれど、誰だってある程度の希望ってものがあると思う。何でも良いってわけじゃない。

私、そんなに高望みな条件で探しているんだろうか…

それとも、やっぱり50代って年齢が、もうそれだけでNGワードなんだろうか…

 

「採用には至りませんでした。ご健勝をお祈りします」のメールも、段々慣れたのか、来ても何とも思わなくなってきた。

良い反応が無いので、エントリーのバーはどんどん下がっていく。

自分が社会に何の役にも立たない人間みたいな気がしてくる。

あー、ダメだ!ダメだ!

こんな思考でいたら、できることだってできなくなっちゃう。

 

仕事に結びつかない障害は何か?

今までやってきたキャリアって何だ? 

いや、もっと根本に立ち返って本当に仕事を探したいのか?

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頭の中がぐちゃぐちゃなので、この記事1本だけでは整理がつかないと思います。

なので、読まれた方が呆れたり、ムカついたり、腹が立ったら、遠慮なく言っていただいていいです。「いい歳して、甘ったれんじゃないよ!」的な意見も今の私にはいい刺激、カンフル剤になると思いますので。

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・私の立場と仕事のこと

まずは、自分の立場と業務のことから。

私はブログタイトルにもあるように、旅行・イベント業を生業にしています。

でも個人事業主とかフリーランスではありません。

旅行業に特化した派遣会社に所属して、依頼がきた業務について所属会社と旅行会社や企業が契約を結び、給料が支払われる仕組みです。

所属会社には営業マンがいて、マネージャーみたいに私に代わって報酬の交渉したり、スケジュール調整をしてくれる。

分かりやすく言うと、プロダクションみたいな感じです。(分かりやすくないか・・・)

 

仕事は完全出来高制、働かざる者食うべからず。。。

やっている内容は、大型団体旅行、企業イベント、国際会議、エンタメ、ファンミーティング、宿泊・料飲・移動・交通・現場誘導などのオペレーションなんでも。

開催に向けてチームを作り、手配を進め、実際に現場を回していくというものです。

小さな案件は数人のものから、大きな案件は数千人のものまで。

期間は、最終調整1週間で現場入りするものから、仕入れ段階から数か月、半年かかるものまでありますが、ひとつひとつ必ず完結して、また次の業務に入るといった感じ。

その合間に、国内・海外の添乗などもして、この業界に30年も住みついてます。

 

・仕事が完全蒸発した4月15日

30年もやってきましたから、その間、いろんな仕事の危機がありました。

思い返してみると、いちばん最初の洗礼は「湾岸戦争」1990年。

私はまだ、頭に殻がついているようなヒヨッコで、仕事があるとかないとかもよく分かってなかった。

その後すぐに「ソ連・東側諸国の崩壊」1991年。

島国日本人の私には、国境線が変わるなんて想像外の世界で、ヨーロッパの地図が書き換えられる歴史の変化に身震いしました。

次の衝撃は、1995年「阪神淡路大震災」。

ちょうどイタリア添乗中でローマに着いた翌朝のこと。お客様がテレビで日本が大変なことになっていると飛んできたことは忘れられません。今と違って、携帯もネットも無い時代。現地で情報をかき集め、被害の大きさを知り、関西の参加者をどうやって日本に帰そうかと、泣いたな、あれ。

次いでやってきたのが、2001年の「911アメリ同時多発テロ

添乗で何度も訪れていたNYのツインタワーに飛行機が突っ込み倒壊していく。まるで映画のような光景に茫然としました。

そして記憶に新しい「リーマンショック」2008年、「SARS」「MARS」、

直近は、2011年「東日本大震災」。

帰宅できずにビルの25階で夜を明かし、ツアーや大型イベントのキャンセルで、この時も本当に辛かった。

でも、でも、でも、どれも乗り越えてきました。

いや、よく乗り越えて続けて来たな、我ながら。

それは、世界中どこにも先が見えなくなることはなかったし、被害や打撃の中にも「復興に向かう」という具体的な強い光が見えてたからだと思います。

 

今回の新型コロナ感染症は、桁が違った…

オリンピックが延期になり、日本だけじゃなく、世界中で、イベントも見本市も会議も、旅行も全部なくなって、まさに蒸発。

最後の仕事の中止決定が4月15日だったので、この日を0415と呼んでいます。

 

・就労補償と何もしないジレンマ

最後に中止になった仕事が8月のイベントだったので、とりあえず補償されることになりました。もちろん、100%じゃないけど。

イベント担当者も収入をゼロにはしないと言ってくれて(泣)。派遣の立場としては、本当に、本当にありがたいんです。

だから、今はもがいても仕方ないんだから、キリギリスになって気楽に夏を過ごそうと思ったりもしました。

でも、(また、でもの繰り返し…)でも、何もしていない…

過去の資料をまとめても、スタッフとミーティングしても、その業務への対価じゃない。もらっているお金は、生活のための補償であって、仕事への対価じゃない。

 

お金をもらうってことは、働いたことへの対価。

なのに、私は何も生み出していないし、何も作っていない。

 

・漠然とした不安の種

住むところはある、当座の資金もある。期限付きだが補償もある。しばらくは生活には困らない。(何か月もつか分からないけど)

でも、(また、でもだ・・)収入が激減するのは事実。今まであったものが無くなる不安は、困る困らないにかかわらず襲ってくる。

なんでもっと、ドスンと腹括って「この機に自己研鑽すればいい」って思えないのか。

人間、得たものを手放すってできないものなんだと自己嫌悪ながら思います。

 

それに加えて、追加の不安の種は、現場力が無くなる怖さ。

イベントや旅行は1回こっきりで、リハーサルもなければ、やり直しも返品もできない。だから、あらゆる想定をすることと、現場での直観みたいなものが大事なのに。

何もしないでいると、現場の筋力が衰えていくようで、働かない自分が怖くなる。

 

・知った現実、今まで井の中の蛙だった?

そう、1か月前に就活をしようと思ったのは、そんな補償だけの収入に頼るのではなく、旅行業界がダメなら別の業種で再スタートもアリだと思ったからだと思います。

年齢はいっているけど、その分やってきた経験値があるし、大抵のことはできると。

若いからってみんなが10年も20年も同じ職場にいるわけじゃないし、勤続2,3年と思えば50代だって同じくらいの期間は働ける、だとしたら、大した差じゃないと。

そのうえ、自分は即戦力になるから雇用側にはお得と勝手に思っていました。

 

でも(あー、またまた、でもを繰り返す)、

経験を活かしたいと思うと、今までの報酬の半分の仕事ですらない。

50代をキーワードで検索すると、出てくるのは、

「PC不要」とか「誰にでもできる楽ちん作業」とか「経験不要」「英語不要」

不要のオンパレード。

 

現実を見られるようになって分かったのは、

見ず知らずの人間を雇う時、いぶし銀なのか錆びなのか分からない中年よりも、磨き甲斐のある若者を選ぶのが当たり前だろ、ってことでした。

そして、私が戦力になれたのは、今までしてきた仕事の成果から次の結果を期待してくれたからで、私が何者か知らない雇用主にとっては、お得も何もないのでした。

 

・働くってなんだろう…

本当に何でもいいから働きたいと思えば、「何かしら」きっとあるんだと思います。

でも、その「何かしら」に手を出さない理由はなんだろう。

働きたいと思っているのに、何でも良くないのはどうしてだろう。

これまでの経験値やスキルへのプライド? 最低〇〇円は欲しいという金銭?

 

これまで仕事をしてきて、「キツイ」と思うことは何度も何度もありました。

もう崖っぷちで「今回はダメかもしれない」と眠れないこともたくさんあった。

(実際、寝ずに仕事するようなことも)

でも、仕事を「辛い」とか「止めたい」とか思ったことはなかった。

 

そもそも、楽な仕事が良い仕事だと思っていない。

自分の考える力、張れるアンテナを最大にして、一番、最短で結果に結びつく方法を考えながら、

何処を犠牲にして、何を拾っていけば上手くいくのか想像して、

最後はチームでハイタッチして肩叩き合って、顧客と握手して終わる。

そして、自分が作った成果に見合う報酬を払ってもらう。

そんな仕事が身体に沁みついて、「何でもいい」を選べないのかもしれません。

 

私にとって、働くことは、

働く➡結果を出す➡結果が収益を生む➡評価される➡収入で還元される➡嬉しい

で、➡また、働く

と腑に落ちました。

 

それにしても、50代の派遣仕事の範囲(無さ)に驚きはありますし、業界復活にはまだ時間がかかりそうなので、もう少し異業種の職探し続けます。

何かせねば!!

GO TOキャンぺーン、どうなることやらですが、この話題は、また次に。