【奥秩父・両神山】秩父の霊峰両神山への誘い・前段です
地味な印象の埼玉・奥秩父の山ですが、
そんな秩父の山の中に、「百名山」に名を連ねる名峰があります。
その名も、「両神山」(りょうかみさん)
ずっと行きたいと思っていた両神山に、9月末、1泊2日で1人山旅へ。

何回も沢を渡り、岩場を登り、辿りついた頂上は絶景でした。
そして、
1人なのに何故か、喋り笑う場面がたくさんあって、地元の人たちが本当に良い。
あまり楽しかったので、その振り返りを何回かに分けて書いていきます。
まずは、その前段です('ω')ノ
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念のために、「百名山」とは、
今から55年ほど前(1964年)、
文筆家で登山家だった深田久弥が書き綴った随筆集「日本百名山」に選ばれた100座のことです。
この山を制覇したいと思う人はとても多くて、
かくいう私も、百名山が標された日本地図を広げて、登った山を一つひとつ塗りつぶしています。
実は百名山の全山制覇は、かなり大変です。
それも、その山々は日本全土から選ばれていて、
北端は北海道の利尻岳、南端は、あの屋久杉で有名な屋久島の宮之浦岳まで。
制覇するには、長い日本列島を北から南まで踏破しなければなりません。
そして、そのほとんどは日本各地の山塊、山脈を代表する名だたる山々ばかり。
中には、筑波山(茨城県にあります)のような低山もありますが、
私自身は、ルート難易度が高すぎて、すでに登頂を諦めている山が何座もあります(涙)。
ちなみに、今では色んな百名山があって、
たとえば「花の百名山」とか「●●(地名とか県名)百名山」とか、
百って単位が、なんとなく切りが良く、目標にしやすいんでしょうね。
でも、なんといっても国土の7割が山地の日本列島、
実際は、眺めてよし、登ってよしの山は「星の数ならぬ、山の数ほど」あって、
個人的には、あまりこの「××名山」の名称にこだわらずに、登りたい山に登っています。
埼玉県にある唯一の百名山「両神山」
実は埼玉にはもう一座、雲取山(2017m)があるのですが、東京と埼玉にまたがっているので、埼玉にある山といったら両神山だけになります。
場所は、埼玉県秩父郡小鹿野町(おがのまち)と秩父市の境目に位置し、
奥秩父山塊の北部、標高は1,723mです。
それでも標高から想像するよりも、なかなか手ごたえのある登り甲斐のある山です。
次々と、沢や鎖場、岩場があって、まったく飽きることなく登ることができます。
実はここ小鹿野町は、日本に数少ないクライミング聖地のひとつ。
岩を登るクライマーたちが大勢やって来る地です。
標高が低くても、まるで恐竜の背のような岩壁がアチコチにあって、中でも二子山は有名です。
岩が砦のようにそそり立ち、のこぎりの歯のような山姿の両神山も、それに負けず劣らずです。ここを登っていくのが本当にスリリングで楽しい。
名前の由来は日本神話?霊峰「両神山」
何といっても、名前が神秘的だと思いませんか?
名前の由来は色々あるようですが、「イザナミ」「イザナギ」の両神をまつっているから、両神山という説があります。
日本古事記の話は西日本(出雲・島根とか、宮崎)を思い浮かべますが、
この埼玉の地にも、神話の神々の名が出てくるのは、なにか気恥ずかしい感じですが、
秩父は古来から山岳信仰、修験の場でしたから、イザナミ・イザナギでなくても、
何かしらの神様に結びついているのは頷けます。
登山道には、見落としてしまいそうですが、
苔むした石仏や石碑がひっそりと、ここあちここにあります。
それらに一礼をしながら、手を合わせながら登るのも、平和な気持ちになります。
今、10月。
旧暦10月は日本全国の神様が出雲にお集まりになる月です。
今年は、11月がそれにあたるそうですが、この埼玉の地からも、神様たちが出雲へお出かけの準備をしているのかもしれません。
埼玉の秘境の地?アクセスは悪いが温泉は良い
埼玉の中にあるのに、なかなか行けなかったのは、
公共交通機関でのアクセスが、恐ろしく悪い。
私自身、埼玉に住んでいるにも関わらず、電車での日帰りが難しいです。
それで今回は、前泊をして登ることにしました。

ここに1泊して、翌日朝から両神山に登り、その足で帰宅する計画です。
両神荘は、お世辞にも立派な施設とは言えませんが、
西武秩父駅からバスで50分、薬師堂バス停から徒歩5分の場所は便利です。
そして、翌日の両神山にも登山口の日向大谷までバスで行けます。
加えて、温泉がある!
両神温泉は、柔らかい肌触りの優しい温泉です。
山の景色を眺めながら、のんびりとお湯に身を浸ると体中の疲れが蒸発していくよう。
実は、この日、急遽、予定変更して、薬師堂バス停から一山登っていました。
四阿屋山(「あずまやさん」と読みます)標高は772m
バス停から往復3時間で戻ってこられる山ですが、最後に鎖場があり、ここもなかなか楽しい。
なので、汗だくの身体に、本当に温泉の湯が沁みて、沁みて。。。
風呂上りのビールが、お腹に浸みて、浸みて(笑)
と、ざっと振り返りの前段をお話しました。
で? これで? いったい何だって感じですが、
登山やその時々の諸々は次に続けますので、しばしお待ちを!
※すみません、これ書き終えたら、また山に出発します。
なので、数日お待ちを!でした💦
【雨が奏でる音】すこし肌寒い雨の庭から…
10月、2週目の週末の朝、
外は雨、窓を開けると、空は薄どんよりと霞んで、少し肌寒い。
台風14号がゆっくりと近づいていて、時々、雨脚が強くなります。
外に出ると、ひんやりとした空気が長袖シャツを抜けていく。
レインヤッケを羽織り、足元を見ると、
昨夜から強くなった雨に打たれて、メドーセージが、しな垂れていました。
青空の下では元気に上を向き、雨には静かに頭を落とすようです。

満開の金木犀もだいぶ散っていました。
落ちたオレンジ色の小さな花たちは、なんだかビーズをばら撒いたよう。
先に散った金木犀は、茶色く変色し始めて、色褪せているのだけれど、


それはそれで、なんとなく美しいように思えます。
咲くも命、散るも命、自然の摂理…、
そんなふうに思ったりして。
庭に敷かれたタイルの上、じっと見ていたら雨水が小さな波紋を作っていました。
一つ一つのタイルの角から、規則的に、時々、不規則に、
丸い波紋が広がっては消えていきます。
植物の葉は濡れて、曇天の中でも緑が鮮やかです。
雨の雫に弾かれて、細長い葉っぱが上下に揺れます。
ピン、ピン、ピンと、
まるでピアノの鍵盤をたたくように、薄い葉に雨粒が落ちていく。

見渡してみると、庭のあっちでも、こちでも、
猫の掌ほどの小さな葉に、さらに小さな雨粒があたって、
葉っぱたちが小刻みに震えています。
リリン、リリンと、
まるで重なり合って振られるハンドベルのように、細かな葉を震わせていく。

何も考えず、頭と心の中を空っぽにすると、
ピアノとベルの音が、雨音に交じって聞こえるような、ふっとそんな気がします。
秋の雨に弾かれて、
それぞれの色、形、大きさの葉っぱが奏でる、譜面のない即興曲。
今、この季節、この時限りの音楽に、耳を澄ませる雨の朝です。
PS.
小雪も寒いらしく、お気に入りのタワーで丸くなって二度寝です。

【栗むきは栗の心で】祖母直伝?上手にできない時のオマジナイ
秋、スーパーに季節ならでは食材が並ぶのを見ると、なんだか買いたくなります。
秋は特に、甘い果実についつい目が行く。
葡萄に、柿に、梨に、そして栗、どれも美味しそう♥
秋から冬へ植物たちは、
寒さに負けないように体の中の糖度を上げて自らを守ります。
まるで、人が重ね着をするように、甘さというコートを着込んでいく。
秋の食べ物が美味しいのは、そんな植物の力がぎゅっと詰まっているからですね。
先週、奥秩父の山を歩いた時、森に栗の毬がたくさん落ちていました。
毬=イガ
栗の実を覆うトゲトゲ・イガイガの殻のことですね
山の動物たちは、この毬の中の栗を上手に食べているようです。
そういえば、埼玉の奥、秩父の山には鹿がたくさんいるんでよ。

3年前、2017年の秋、
西暦年と同じ高さの山に何が何でも登らねばと、
晩秋の雲取山(標高2017mなんです)に登ったとき、
ふっと山の斜面を見上げたら、十数頭の鹿の群れがこっちをじっと見つめていて、
目を合わせないように、ドキドキして通り過ぎたことがありました。

話が逸れましたが、
先日、今年初めての栗を茹でました
茹でる前に、水洗いして一晩水に浸し、
水に塩を加えて、30分くらい時間をかけてゆっくり茹でます。
1人暮らしなので、量はほんの少しですが、
それでも、ツヤツヤと飴色でコロンとした栗は、触れてて何だか楽しい。
水に浸す理由は、
虫が出てくるとか、鬼皮が柔らかくなるとか聞きますが、
私は、虫が出てくるのを見たことはありませんし、
皮も、うーん、剥きやすいんでしょうか?って感じです(苦笑)
茹であがった栗は、すぐに剥かず、そのまま湯の中にしばらく置きます。
そうすることで栗の灰汁が抜けていきます。
熱湯が冷めたら、水気を切って、さあ、むいていきます。
栗は食べたし、むくのは難し
まずは包丁のお尻の方で、尖った頭の部分を小さく落とし、
包丁の下角をそこに差し込んで、剥ぐようにむいていくのですが、
これが、本当に手ごわい。
外側の硬い皮(鬼皮)をむくには力が要るので、
指を切らないように気を付けながら、少しずつむくのですが、
だんだん手が痺れてきます。
そして、その後の薄い渋皮。
今度は、少しずつ、削ぐようにむくのですが、
ちょっと力が入ると、ホロっと栗が割れてしまう。
あー、ダメだ。
もう、手、痛いし、ボロボロ壊れちゃうし、
第一、イラっとするわ!
この栗むき作業。
栗をむくには栗の心になって
そんなふうに、祖母が言っていたようなこと、思い出しました。
もともとの彼女の言葉は、栗じゃなくて糸。
「糸をほどくには、糸のような心になって」
こんがらがった糸が解けない時、オマジナイのように言っていたものです。
その応用編が、
「〇〇するときは、〇〇のような心になって」
そして、秋の栗むきの時は、栗の心になってと言われたのでした。
もう20年以上前に他界した祖母。
栗の心ってどんな心?って、聞いておけば良かったな。
そうしたら、もっと、上手に栗、むけたかも。

だいぶ壊れちゃいましたが、やっと皮がむけました。
むいた栗は、もう一度、茹でて灰汁を煮出し、少し甘く煮詰めます。
時間かけた割には、これっぽっちですが、
やっぱり、栗って美味しい ( #^.^#)!!
【禍福は糾える縄の如し】コロナだって辛いばかりじゃない!甥の旅立ちを見送る
昨日、大学卒業後、半年遅れで就職する甥を見送ってきました。
10月の今、新卒で就職?
えーっと、一応ですね…、
甥のメンツのために言っておきますと、彼の就職先は公職でして、
本来なら4月に、職業訓練のための全寮学校に入校するはずでしたが、
コロナの感染防止のため、半年遅れの入校になったからです。

※お手製料理で最後の昼餐です
いーちゃん、あーちゃんと、お孫ちゃん
最後の昼食は、甥のリクエストで、
いーちゃん手打ちのお蕎麦とあーちゃん手製の茶わん蒸し。
「いーちゃん」はおじいちゃん
「あーちゃん」は、おばあちゃんのことです。
言葉を覚え始めた頃、
「おじいちゃん、おばあちゃん」と上手く言えなかった甥の呼び方が、
そのまま両親の呼称になりました。
会話の中では、甥の小さかった頃の話が飛び交います。
彼がまだ、4歳か5歳だった頃、
父が打った蕎麦を一口食べるなり、いきなり大きな声で、
「いーちゃんのお蕎麦、美味しいっ!」と言った時のこと。
目を見開いて演技力満点で褒めちぎる姿に、一同ビックリ!
「ちょっと、だれよ? このリアクション教え込んだのは?」と横目で私、
「違う違う、俺、仕込んでないよ!」と慌てて否定する弟、
そんなエピソードが笑いのネタになります。

※ピンぼけで残念、父手打ち蕎麦
もう一つ、幼かった甥のヒット発言は、
「夜朝(よるあさ)」
冬の薄暗い朝、背中におんぶした甥に「おはよう」という母に、
「どうして夜なのに、おはようなの?」
と、不思議げに聞いたあと、納得したように一言。
「あーちゃん、それじゃ今は、夜朝だね」
暗いから夜だけど、おはようと言われるから朝、
なので暗い早朝は、朝でも夜でもない「夜朝」というわけ。
すっかり大人になった甥は苦笑いをしますが、
いかにも子供らしい解釈が、今や我が家の語り草となりました。
そんな子が、いつしか成人式も過ぎ、大学も卒業して、もう社会人。
コロナだったからこそ、オマケの半年に感謝!
コロナがなければ、大した時間も持てずに、
大学卒業の勢いのまま、あっという間にいなくなってしまったでしょう。
それが、Stay Home・自粛のおかげで、
なんと半年も長く一緒に過ごせたのは、最高のオマケです。
そして本当に良かったと思うのは、
そのオマケの半年で、高齢の両親に孫と離れる心の準備ができたこと。
私自身もコロナがなかったなら、
Olinpic Yearだったはずの今年、文字通り殺気立った忙殺の中にいて、
甥の新しい人生のスタートを、こんな風に見送ることはなかったに違いありません。
家族は時間と共に変容していくもの・・・
55年前、両親が結婚して、私たち姉弟が生まれ、
新しい家族を迎えて、孫たちが生まれ育ち、家族の人数が増えて、
そして、今、その中の一人が、巣を離れていく。
子供はいつか必ず、家を出て社会の一員になっていく、
その当たり前をきちんと思い出に留められたのは、コロナ禍のおかげです。
「禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし)」
この禍、悪いことばかりじゃないな、と最近。
「良きこと、悪しきこと」、それを全部ひっくるめて「ものごと」ですものね。
禍福は交互にやってくるもの、まさに、
「禍福 縄の如し」
です。
時の流れが、縄のように「禍」と「福」で縒られているのなら、
きっと禍の中にも、福が紛れているでしょう。
その小さな福を見つけて拾って、日々を過ごしていくうちに、
きっと、いつの日か、縄目が福になっていくのかもしれません。
そんなコロナ福に向けて、甥っ子の新生活出航です。
風雨波乱があっても、乗り切ってと伯母は願ってます(^.^)/~~~
【心を回復させる植物】金木犀の咲く庭から…

ストレス=何かに精神的に圧迫されたり、気持ちが張りつめること
ストレス、メンタルヘルスという言葉、最近では普通に聞くようになりました。
少し前までは、ストレスとは自分の心を強く持って克服しなければならないものといった感じで、ネガティブなイメージが先行していましたが、
現在では、ストレスとは、日常の中で当たり前に起こる変化に心が即応できない状態と位置付けられてきています。
ストレスが起きるのは、単に疲労や不安だけではなく、嬉しいことや期待感、頑張ろうとする意欲にも起因することと認識されています。
私も、自分はストレスは感じにくいとずっと思いこんでいましたが、そう思って頑張っていたことが「実はストレスだったのでは?」と最近思うようになりました。
案外、自分が思っているよりも、人の心は痛みやすいものなのかもしれません。
ストレスを感じる心の状態
これは個人的な意見ですが、気持ちが揺れ動いて落ち着かない時は、
・胸が締め付けられるような感じで意味もなくドキドキする
・疲れているわけではないのに、昼間から気力がなく怠さを感じる
・広い世界の中で、自分だけがポツンと独りでいるような気分になる
・睡眠が十分ではないと分かっているのに、深夜2時、3時でも眠れない
そんな感じで、生産性どころか生活することすら危うくなってしまう。
そうすると余計に何もできなくなり、できない自分が嫌になって、更にネガティブ思考のループに陥ってしまい、もっと何もできなくなります。
ストレスを軽減すること=気持ちの振り幅を緩やかにして、傷んだ心を回復させる
ささくれて痛んだ心を修復する方法としては、ストレスの原因に繋がることから離れて、何か違うことに集中することです。
趣味に没頭したり、面倒なことは考えずにフィジカルに身体を動かしたり。
今年のコロナ禍の中で、多くの人がランニングをしていたのもその一つ。
でも、そんな没頭できるほどの趣味を誰もが持っているわけではないし、
普段から習慣にしていないウォーキングやランニングを始めても、すぐには瞑想の域には届きませんよね。
ストレスを解消するために何か趣味をやらなければ!と思うことが、逆ストレスになったりして、それこそ本末転倒になってしまいます。
心がダメージを受けて傷ついている状態なら、そこに負荷を掛けるのではなく、心地よく感じられることで、不安定に揺れる心を平にして、自然と回復させてあげるのが良いのかもしれません。

植物の持つ癒しの力・金木犀とか。。
我が家はマンションですが、1階のここを選んだ理由の一つは庭があること。
それも庭をコの字に囲む生垣が、金木犀、秋を代表する香りの木です。
ここ2,3日で一気にオレンジ色の小さな花がびっしりと咲きました。
窓を開けるだけで懐かしいような甘い香りがしてきます。
金木犀の匂いをかぐと、子供の頃を思うのは不思議ですが、秋の運動会や遠足、写生会など、外での思い出と繋がって懐かしく思うのかもしれません。
懐かしい記憶が金木犀の甘い匂いと一緒になって、庭に出るだけで心が楽になります。

ローズマリー、セージも優秀なセラビスト
ローズマリー、セージはどれも、シソ科の植物。
料理ハーブとしてだけでなく、植物自体が香りのセラピストです。
ローズマリーは、細長い葉を持ち、薄紫色の小さく爽やかな花が南仏を思わせる植物。
育つと小柄な人の背丈くらいになり、爽やかな香りを放ってくれます。
時々、気持ちが落ち着かないと、夜、庭でローズマリーの繁った枝たちを抱えます。
そうすると、力強い清涼感のある匂いが、高ぶった熱のある心を静めてくれる。

セージは、種類が豊富でとにかく強い。
我が家ではメドーセージ、サファイヤセージ、チェリーセージなどなど。。
手入れが悪いせいか花付きはイマイチですが、葉っぱは元気でどんどん育ちます。
背丈の低い生い茂ったセージの繁みを手で撫でると、スパイスのような少し癖のある芳香が立って、触れた手から身体全体を癒してくれます。

夜、暗い庭で、流れる雲と月を見上げて、彼らが持つ香りを吸い込むと、澱が溜まった心の換気ができて、穏やかさを取り戻せる、そんな気がします。
自宅に植物がなくても、きっと付近の道沿いにそんな植物たちがいるでしょう。
猛暑が過ぎて、秋は植物が元気に育つ季節です。
ちょっと足を止めて深く呼吸をしてみたり、夜、そっと触れてみたりしては?
朝晩、涼しくなってきました。夕方の雲の形もすっかり秋空です。
植物たちは、これからが冬に向け実りと回復の季節、
そんな植物の力を借りる日々です。
PS.
家主(私)の回復が分かるのか、同居の小雪(猫)も最近、さらに庭好きです
【秋、バイト仕事辞めました】ニューノーマルへ10月からリ・スタート
今朝、5時過ぎ。
窓を開けると、外は薄ぼんやり明るくなりかけて、ひんやりとした空気が入ってくる。
起き上がって時計を見たら5時半。日の出の時間。
そのままクローゼットを開け、ランニングウェアに着替え、
ちょっと寒いなと思いながら、スポーツベストを羽織り、シューズを履いて、
朝日の中、走り出しました。
頭の中も、気持ちの中も、身体も何だかとても軽い。
解放された感というのでしょうか。
一昨日、9月30日水曜日。
その日を最後にして、私、バイト仕事を辞めました。
10月からは、今まで外に向けて注いできた熱量を、自分自身に向けていこうと。
「何もしないこと=要らないこと=ダメなこと」
そんな闇のような式から、ようやく抜け出せた感じです。

※朝のランニングロードです
無理と錯覚の、7月
生来の仕事が無くなって、7月にバイトを始めた時、
立ち止まっていてはダメだと、何かを始めるんだと、自分を鼓舞していました。
何かをすることが頑張ること、前を向くことだと、
違った環境と立場、知らない世界は、きっと良い経験になるはずだと、
そう、周囲に言って、笑って、
自分に言い聞かせて。
でも、本当のところは、
何もしていない自分が不用品になったようで、ダメ出しをされているようで、
そんな気持ちを誤魔化したかっただけ。
自分が元気で、どんな時にも対応していけると、錯覚したかっただけでした。
どうしてそんな「無理笑い」や「カラ元気」で乗り切ろうと思ったのか。
それは、そんな誤魔化しの間に、戻ってくると思っていたから。
今まで自分が大切にしてきた、私自身のパーツ・要素のような世界が、
きっと戻ってくると、そう思い込んでいたからでした。
気が付いてオロオロとした、8月
毎日、決まった電車に乗り、決まった時間に作業を始め、
指示された休憩を取り、同じことを繰り返し、
決まった時間に帰るバイトの日々。
「いやいや、仕事の大半はルーティンなものだろう」
そう、サラッと流そうとしても、
「私、何しているんだろう」と、問いてはいけない問いが、頭の中を流れてくる。
周囲を見ると、普通の生活が戻ったように見えます。
混んだ通勤電車、買い物客、公園、レストラン・・・
そして、
「ニューノーマル」、という言葉が頭に浮かんだ時、
急に、
「以前、自分がいた世界は戻ってこない」、と気が付きました。
今の常識はもう前とは違う、価値観は変わるんだという現実が、
天啓のように、突き刺さってきました。
もし、戻ってきても、それは違う価値を伴った違う世界。
そういうことなんだ。
では、私は、どこに戻ればいいんだろう・・・
9月を経て、10月リ・スタートへ
「今までの世界は戻ってこない」
ということは、今までの自分に戻る場所はないってこと。
ならば、何も待つものはないんです。
違う世界が戻ってくると言うなら、それがニューノーマルで普通だと言うなら、
その世界に見合う自分になればいい。
今、まだ止まっているこの時間に、新しい自分を創っていけばいい。
自分が変わればいいんだ。
「脱皮」って感じでしょうか?
違う姿で旅行・イベントが戻ってきた時の為に、
まさに今、古い皮の下で次の自分を創る時期なんだと思うのです。
9月30日がバイト仕事の契約期限で、更新はしませんでした。
そもそも、夏の臨時仕事をバイトと呼んでいたこと自体が、
私の姿勢の現われだったように思います。
回復はもしかしたら2、3年後、それでも今始める
2月の禍から8か月、もう半年以上、ずいぶん、泣いたし弱音も吐きました。
でも、最近思うのは、人が泣くのは、弱いからじゃないです。
自分がしっかりしないといけないと思う時、キツイなぁと人は泣くんだと、
だからそんな時は、泣いてもいいんだと思います。
でも多分、もう泣かないな、泣いている時間は、もうないから。
旅行・イベントは、これからどうやって進むのか、まだまだ模索が続きます。
完全に持ち直すのは、残念ながら、2、3年先という見方もあります。
インバウンドや、海外添乗は、きっとそれくらいかかるでしょう。
ならばその2、3年後まで、ニューノーマルに合わせていけばいいんです。
だから、今、始めます。

10月は年度の後半、秋期の始まりです。
空の青さも今までと違って、抜けるような透明感のあるブルーに見える。
リ・スタートの具体的なお話は、また次にするとして、
健やかで気持ちのいい秋を過ごせますように♬
【彷徨うブログ】そもそも何で一般人の私が書こうと思ったかというと…

そもそもブログを書こうと思ったのは、何故かというと、
いつも頭の中に沸いてくる文章を吐き出したかったから。
もしかしたら、そんな感覚で雑記ブログ書いている人、少なくないんじゃないかと思うのですが、
1人でいると、その時々に感じていることや、意見や様々な思いが、具体的な文章になって頭の中を流れているのです。
そんなこと、ありませんでしょうか?
(そうでないと私だけが変人になってしまうので、そうあって欲しい!)
頭の中で文字が流れるイメージとしては、
ニュース番組の画面に、右から左に流れるテロップ文字のような感じです。
ただそれは、テロップみたいにサラサラとした流れではなくて、
言葉の湧き出し口は、例えるなら、海底や池の底で、地熱を吐き出す穴。
その穴から、飽和になった言葉が不規則に、ボコッ、ボワッ、ボコッ、と溢れ漏れてくる感じ。
しかし、テロップになった言葉の列に出口がないらしく、まるで有害なガスか何かように、頭の中に充満していきます。
早く放出して、拡散させて薄めないと、どんどん濃度が上がって息苦しくなる。
その息苦しさを何とかしようと、ブログに書き始めたような気がします。
じゃあ、ブログを書き出す前はどうだったかというと、
これもまたイメージですが、頭の中に換気窓がありました。
吐き出される文字列は、その窓からフェードアウトするように消えていたようです。
頭の中の『換気窓』
それは、毎日のタスクであったり、課されている仕事であったり、
人との会話であったり、先の予定だったり、
楽しみな計画だったり、何気ない当たり前の日常です。
それが、思考を濃度を下げて、ちゃんと開放してくれる心の通気口だったようです。
その換気窓が上手く機能していない今、濃度が上がる頭の文字列を消化しようとブログに手を出したというわけです。
それなら、もっとじゃんじゃん書けばいいものを、
なのですが、頭の中の文字列は、実はかなりいい加減でした。
ブツブツと独り言のような言葉はいくらでも出てくるのに、いざ、可視化できる文字にしていこうとすると、なかなか思ったことが書き表せません。
頭の中の文字は、アチコチに飛ぶ思考の切れ端の連続でしかなく、自分以外の人に何かを伝える表現にはなってなかったからです。
それでも、ポツポツと書いてきましたが、自分が書いたものを振り返ってみると、どれもこれもゴワゴワです。
まるで甘味がなくて歯触りの悪いトウモロコシみたい。(涙)
文体はマチマチだし、話題はテンデンバラバラだし、個人的な泣き言はあるし、
一体全体、「何を書いているのだか?」と凹んだら、もっと書けなくなりました。
だいたい、私の頭の中の文字列を人に見せたところで、何にもならないよな、と。
で、半年経っても40記事にも満たないまま、約1か月、止まっておりました。
結局のところ、カッコ悪いのが恥ずかしくなったから、口をつぐんだだけか、
自分に凹んだといえば、自省しているようで聞こえは悪くないけれど、
正直なところは、自分が書いたものと人のブログと見比べて、
統一感のないデコボコとした自分の過去記事が、恥ずかしくなったってことでした。
それで、何かカッコつけようとして、
頭の中の文字列じゃない何か話題を探さねばと、アレコレ策を考えてるうちに、
何が書きたいのか分からなくなり、
行き詰まり、不相応に、ただ、止まったってだけの話です。
あらら、私、バッカじゃないの?
ちょっとやったくらいで、サラッとやれるほど器用じゃないだろ、自分。
何でも同じかな。この感触って、語学に似ていました。(笑)
かつて昔、若かりし頃、海外添乗でトラブル対応や交渉した時、
とにかく自分の意見や主張を伝えたくて、ボロクソの英語で話していたことを思い出しました。
貧しい表現力、稚拙な語彙、間違えだらけの文法…
それも、子供のような風貌のちっこい日本人女子が何か言っても、
相手にとっては、猫が「ニャー、ニャー」言っているくらいにしかならなくて、
何度、恥ずかしくて情けない思いをしたか。
恥ずかしい思いや、情けない思い、誤解をたくさん繰り返して、
語彙を調べて、表現の仕方をストックして、人の言い方を真似て、
そうするうちに、次第に、交渉や駆け引きをする術を覚えて、
段々に、人並に会話が成り立つようになったんだよな、たしか・・・
最初からスマートに上手く喋るなんて無理って言ってたよな、
でも喋らなければ、言葉は絶対に上達しないって言ったよな、誰かに。
こじつけみたいですが、ブログ書くのも一緒かもね。
たかが半年で、良い感じに書こうというのがおこがましい話でした(苦笑)
「とにかく、どんどん書け」という上級者の方々の意見は、
語学を学ぶ人に「どんどん話せ」と言っているのと一緒なわけで、
だったら今は、話題飛び飛びの、凸凹ブログでもいいわけです。
そもそも、特技も専門知識も持たない私が、何か書きたいと思った理由が、
消化できない頭の中の文字の吐き出しなら、あーだこーだ躊躇する前に、
浮かんだ文字列をちゃんと文章にして、そのグチャグチャ思考を整理したほうがいい。
そうやっていくうちに、段々体裁整って、見た目スッキリするんじゃないかなと。
それで、もし、いつか、こんな一般人の独り言が、
誰かを勇気づけたり、励ましたりできたらいいなぁと、
企んだりしております、フフフッ
(⋈◍>◡<◍)。✧♡
【低山ハイキング 官の倉山】涼やかな水音と森林浴、埼玉の森の休日
梅雨が明けたら、いっきに盛夏になりました。
内陸の埼玉は連日、40℃近い猛暑が続いています。本当に暑い!
時間に余裕のあるこの夏、涼を求めて名山制覇と行きたいところですが、
今年は遠出が憚られて、なかなか足が向きません。
それならば、今年は地元・埼玉の低山を連覇してみようかな。
それでまずは、お1人でもハイキング気分で気負わず登れる山、官の倉山へ。
標高344メートルの低山ですが、駅から直接歩き出せて、短時間で変化のある山道が楽しい歩きごたえのある山です。
東武東上線の東武竹沢駅から、官ノ倉山を目指します。

登山口まではのどかな田舎道。
農作業に向かう地元のおじさんが、ザックを背負い汗だくで歩く私に声を掛けます。
「この暑い中、よく行くねー」
「こんな暑い日だから、行くんですよー」と私。
おじさんたちは、
「そーだ、山歩くにゃ、気持ちいい暑さだ!」
ケラケラ笑って返してきました(笑)
道路のあっちとこっちからですから、マスクなしで大笑いも問題なしです。

途中で、足元に可愛いほおずきを見つけました。

いや、それにしても暑い。山に入る前からもう汗だく、手持ちの水をがぶがぶ飲みながら歩いて行くと、いきなりお猫様お二人に遭遇。
地面にお腹をつけて涼んでいます。
人慣れしているのか、私が近寄っても「ふーん」って感じで意にも介さず。

集落を抜け三光神社を過ぎると、民家がなくなり山道に入ります。
登山道に入ると見えたのは山王池。
水辺景色で、気温は変わらないのに、なんだか少し涼しくなったような気になる。

山の中は杉林、薄暗い樹林がさっきまでの射すような陽射しを遮ります。
薄暗い登山道に、時々、すうっと風が吹いて、汗ばんだシャツに入ってくる。
山の中で感じる暑さは、町中とは全然違う気持ちのいい暑さです。

杉の根がごつごつとした斜面を登っていきます。
くねくねとした細い急登を登りきると、官の倉山頂上。
空気が澄んでいたら、下の小川町や奥秩父の山々が望めるのに、
霞んで遠くの景色は望めなかったのが、ちょっと残念。
駅を出発してちょうど1時間くらいの道のり。
ザックを降ろしベンチに座ってボーっとしていると、頭の中の余分な澱みたいな考えが抜けていくようで心地いい。

官の倉山から石尊山へ
なんと官の倉山を目指してきたのに、官の倉よりもずっと景色がいい!
ここからは秩父の山並みが見渡せます。誰もいないので、思わず「わおー」と声。
流れる汗を拭き一息ついて、ここで今日の目的達成。
小川町駅に向かって下りていきました。

下り道は、ひっそりとしていて、静かな山道、誰にも会わない。
森の中で聞こえるのは、頭上から降ってくる蝉の声だけです。
首回りもシャツも汗でぐっしょりなのに、暑さに身体が軽くなる気がします。
鎖場のある急な斜面が、少し緊張感を作って、これもまた心地いい。


小さな不動の滝から落ちる水の音が、森に響いていました。
森の中で聞く水の音は、独特の響きがあります。
落差を落ちて流れになって、その流れが石や両岸に当たって弾けて・・・
一律ではなくて、刹那に異なる音の連なりは、打楽器の音楽を聴くようです。
(動画があるのですが、スキルがなくて音をお聞かせできなくてスミマセン)

山道を下りながら、何で山に登りたいと思うんだろうなと、つらつら思いました。
で、歩きながら、思い至ったこと二つ。
一つは、頂上、辿り着きたい場所が分かっているから。
山には目指す場所が必ずあります。
登りながら「どこに行こうかな」と迷う人はいません。
普段、日常にある、どこに向かえばいいのか分からなくなる不安、
そんな不安を、山が解放してくれるような気がします。
もう一つは、行くべき道が見えているから。
どんな低山でも、事前に地図を検討して、ルートを決めて登り始めます。
どこから入山して、どこに下るか。
どれくらい時間がかかるか、どこが難所で、どこで休むか。
取るべき道が分かっているから、迷わず進んでいける。
まぁ、1人歩いていると、色んなことを思うわけですが、
いちばんは、樹木や草木、岩や水、虫や鳥、そんな何気ない者たちが、居るところだからなんでしょうね。
低山登山、ドリンク剤より効く今年の夏のサプリです。
また登ってきます。
【原爆の図 丸木美術館】75年前を想う夏の日

今年、日本は戦後75年。
全世界、人類で初の原爆投下と最後の投下からも、今年で75年節目の年です。
その最初も最後も攻撃を受けた日本。
きっと平常時だったなら、日本国内だけでなく世界中で、原爆がもたらした悲惨さを顧み、核兵器の是非と向き合い、もう一度心に刻む年になったはずですが、
今年は75年前の出来事へ思いを寄せられないほどの惨禍が世界中にあります。
それでも、8月6日は広島を想い、8月9日は長崎を想い、思い出したのは、
原爆の凄まじさを描いた「原爆の図」、墨で描かれた15部の群像図。
多くの人はきっと社会科か美術の教科書で見たことがあるのではないでしょうか。
画家の丸木位里・俊夫妻が描いたこの絵は、埼玉県東松山市の「原爆の図 丸木美術館」に展示されています。
奇しくも、今年の1月、丸木俊さんが逝去されました。
75年節目の年がこのようになるなんて、彼女は想像もしていなかったと思います。
一度行かなければと思いつつ、訪れる機がなかったこの美術館に、行ってきました。
駅から汗だくで丸木美術館へ
8月猛暑の中、JRから東武東上線に乗り換え、つきのわ駅から歩いて行きました。
駅周辺はのどかでぱらぱらと企業の工場やスーパーがある程度。
道沿いは、あの壮絶な原爆の図とは真逆の、平和な景色が続きます。
案内看板もない道のりを20分汗だくで歩き、やっと森の入り口に美術館の表示が出ていました。

作品の名前が冠されている美術館
作品名が美術館名になっているのは、ここだけかもしれません。
森の看板からさらに歩いていくと、やっと美術館らしい建物が見えてきました。
夫妻が共同制作で30年以上描き続けた「原爆の図」を、どこの制約を受けず、誰にでも見てもらえるように建てられた美術館です。
上部と入り口の壁には飛ぶ鳥(鳩でしょうか)のモチーフがある建物は、
想像していたよりもずっとひっそりと、こじんまりとしていました。

木の扉を開け2階の展示室へ
展示順路は2階からとなっていて、気持ちを抑えながら古い階段を上りました。
どんな絵か分かっているだけに、それを直視できるか胸がざわつきます。
階段を上がったところに丸木夫妻のメッセージが書かれていました。
”自分たちは30年かけてたくさんの人物を描いてきたが、
その何倍もの人が、ほんの一瞬で命を落としたことを知れば、まだ描き続けなければ”
といったメッセージです。
ひんやりとした2階の展示室から、大画面の屏風に描かれた「原爆の図」が始まりました。
恐ろしいのに目をそらせず、凝視してしまう絵
「原爆の図」は一言でいうとそんな絵でした。
1部から時系列に構成された絵が、その時、何が起きていたのかを物語ります。それぞれの絵に添えられた俊さんの解説文が語りかけてくるようで、まるで紙芝居を見ているようです。
描かれているのは、ひたすら人、人、人びと。
全身傷だらけの人、瀕死の人、すでに息絶えた人たち、
それらが生生しく描かれているのに、立ち止まり近づいて、目を凝らし見てしまう。
しんとした展示室の中でにいて、
人の叫び声や泣き声、焦土の地面の熱さや蒸した空気、ねっとりとした熱風、
人が朽ちていく汚臭が、周囲に満ちているような錯覚がしてくる。
見たくない、こんな光景は見たくないと感じながら見て、
解説文を読み、そしてまた見上げる。
マスクの下で歯を噛み締めて、1枚の絵の前に何分も立ち尽くしてしまう。
涙は出ない、でも、何か、もの凄く怖い。
建物や風景、モノは一切描かれず、ただ黒と赤の墨の濃淡だけで、描かれた群像。
単色で線で描かれていることで、恐ろしさと悲しさが押し寄せてきます。
これか写実絵画だったら、こんな凄惨な光景の絵は、とても直視できない。
でも、「原爆の図」はそれを見せる凄さがありました。
丸木位里・丸木俊夫妻の絵
東京で活躍をしていた二人は、1945年に広島で原爆が投下されると、その数日後に位里の出身地だった広島へ駆けつけました。
そして、そこで投下後間もない惨状を目撃し、自分たちが目にした光景を「原爆の図」に描く共同作業を始め、傷つきボロボロになった群像を30年以上描き続けました。
丸木美術館に展示されている絵は、広島の原爆以外にもテーマがあります。
アウシュビッツだったり、水俣病だったり、南京大虐殺であったり。
どれも戦争や兵器、社会の暴力をダイレクトに伝えていて、締め付けられます。
美術館をあとにして
建物の外に出たら、2020年の8月でした。
蝉がミンミン鳴いていて、濡タオルを頭から被っても、暑さが突き刺さってくる。
75年前の夏も、こんなに暑かったんだろうか。。。
8月のあの日も、こんな風に太陽が照りつけていたんだろうか。。。
平時は繁忙期で忙殺されている夏、
こんな年にならなければ、改めて考えることもないままに過ごしていたと思います。
自分がどんな姿になったのか、死んだことすら分からずに逝った人々、
他人の手で生きることを断ち切られた人々のことを、その無念さを背負いながら、また20分の道を駅に歩いて帰りました。
丸木美術館アクセス
<<電車の場合>>
利用駅:東武東上線 東松山駅・森林公園駅・つきのわ駅
・森林公園駅 南口より(約3.5km)
タクシー 約12分
徒歩 約50分
・東松山駅 東口より(日祝除く)4番乗り場より市内循環バス
「唐子コース」(日祝運休) 約15分
「丸木美術館東」で下車し、徒歩約15分
【バス時刻表】(2020年7月〜)
8:45、10:10、11:10、12:10、14:30、15:35
・つきのわ駅より(約2.5km)
徒歩 約30分
私はつきのわ駅から歩いて行きましたが、東松山駅からバスで行くこともできます。
【8月・季節の色】コロナ色だけで染めない夏のために

季節感がおかしい
今日、8月3日月曜日。
カレンダーを眺めて思うのだけれど、今年は何か季節感がおかしい…。
というのも朝の駅からの道で、
大勢の中高生がワイワイと学校に向かっている?!
あれれ?今、8月だよね、
8月って、学校は夏休みじゃなかったけ??
そうか、
今年は、コロナ禍で春に学校休業だったから、
その休んだ分、夏休みは返上で、学校があるってことなんですね。
この季節感のズレって、
長梅雨だったせいなのか、私の頭のカレンダーがおかしいのか、
意識しないと、まだ、6月か7月のような勘違いをしてしまいそうです。
普段の8月ならば…、いや、今年は最初から季節感喪失でした
普段なら、強い夏日を日傘で遮りながら、
ミーン、ミーンと甲高い蝉の声を浴びて、
騒がしい学生たちのいない、妙に静かな道を歩いて、
ちゃんと、8月だって感じていたはずなんだけど。
思えば、去年の年末から季節感はどこかにいってしまったみたです。
クリスマスもお正月も、そっちのけで仕事をしていたら、
年明け早々、コロナ禍が襲ってきて、
オリンピックどうなるんだ?!
リモートワークってどうやるんだよ?!
緊急事態宣言って何なんだ?
街から人が消えた???
どうなってるんだ、ローマ、パリ、マドリッド???
外出自粛、引き籠り、鬱、(´;ω;`)ウゥゥ
春の花見も、初夏のイベントもなく、長梅雨が続き、
七夕まつり中止、
花火大会中止、
盆踊中止、
中止、中止の連続で、夏への助走がないまま、
「8月って言われてもね、実感ないわ」、そんな感じです。
戻ったのは季節じゃない日常
さて、街中に目をやると、かなり日常を取り戻したようにも見えます。
友だち同士でにぎやかに通学する学生たち、
ハンディの扇風機を持って歩く女子高生、
混雑した通勤電車、発車ベルに駆け込む人、
書店で立ち読みをする人たち、
スーパーで買い物をする人とレジの列、
違うのは、唯一、みんなマスクをしているということだけ。
何も変わったように見えないのだけれど、
でも、何かしっくりこない。。。
季節感が沸かないというか、
夏らしい色が見えない、そんな感じです。
どうしてかなと思って至ったのは、街中に夏をイメージさせるものがないこと。
例えば、私の自宅近くの駅、
毎年、7月頃から駅構内にお祭り提灯が下げられていたはず。。。
が、今年はありません。
気にしてみたら、旅行やお祭りを誘うポスターがない。
見渡すと、
「旅行に行きます」的なスーツケースの人がいない。
「実家に帰ります」的な家族連れがいない。
戻っていたのは、季節と関係ない人の日常生活だけだったんですね。
だから、人が街にいるのに、季節感が感じられないのかもしれません。
季節って、視覚的なことや、温度や湿度、匂いなどで感じるものですが、
それを総じて、イメージする色があると思います。
では、2020年夏色は?
絶対に嫌なのは、
TVでよく見る、あのおぞましいウィルス写真の赤茶色。
あのイメージだけを2020年を象徴したくはないと思うんです。
この禍の中でも、2020年の夏がどんなだったか、ちゃんと覚えていたい。
今年の春、
自粛の中、1人自転車に乗って桜を見に行ったときのこと。
急に強風が吹いて、青空に桜吹雪が舞いあがり散る桜が、
本当に雪みたいだなと、長い時間、溜息をついて眺めていました。

今年の夏、
こんな年だからこそ、
蝉の声や、勢いよく伸びる草木や、夏空の雲の密集した感じとかを、
この禍と共に記憶していきたいと、強く思うのです。
そんなふうに思って空を見上げると、
入道雲がモクモクと沸いていて、なんだか頼もしく見えてきました。
よしよし、この調子で!
8月を感じていきます!(^^)!