彩のChii-Kura記~☆

猫と小さく暮らす旅行業アラフィフの独り言

【原爆の図 丸木美術館】75年前を想う夏の日

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 今年、日本は戦後75年。

全世界、人類で初の原爆投下と最後の投下からも、今年で75年節目の年です。

その最初も最後も攻撃を受けた日本。

きっと平常時だったなら、日本国内だけでなく世界中で、原爆がもたらした悲惨さを顧み、核兵器の是非と向き合い、もう一度心に刻む年になったはずですが、

今年は75年前の出来事へ思いを寄せられないほどの惨禍が世界中にあります。

 

それでも、8月6日は広島を想い、8月9日は長崎を想い、思い出したのは、

原爆の凄まじさを描いた「原爆の図」、墨で描かれた15部の群像図。

多くの人はきっと社会科か美術の教科書で見たことがあるのではないでしょうか。

marukigallery.jp

 

画家の丸木位里・俊夫妻が描いたこの絵は、埼玉県東松山市の「原爆の図 丸木美術館」に展示されています。

奇しくも、今年の1月、丸木俊さんが逝去されました。

75年節目の年がこのようになるなんて、彼女は想像もしていなかったと思います。

 

一度行かなければと思いつつ、訪れる機がなかったこの美術館に、行ってきました。

marukigallery.jp

駅から汗だくで丸木美術館へ

8月猛暑の中、JRから東武東上線に乗り換え、つきのわ駅から歩いて行きました。

駅周辺はのどかでぱらぱらと企業の工場やスーパーがある程度。

道沿いは、あの壮絶な原爆の図とは真逆の、平和な景色が続きます。

案内看板もない道のりを20分汗だくで歩き、やっと森の入り口に美術館の表示が出ていました。

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作品の名前が冠されている美術館

作品名が美術館名になっているのは、ここだけかもしれません。

森の看板からさらに歩いていくと、やっと美術館らしい建物が見えてきました。

夫妻が共同制作で30年以上描き続けた「原爆の図」を、どこの制約を受けず、誰にでも見てもらえるように建てられた美術館です。

 

上部と入り口の壁には飛ぶ鳥(鳩でしょうか)のモチーフがある建物は、

想像していたよりもずっとひっそりと、こじんまりとしていました。

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木の扉を開け2階の展示室へ

展示順路は2階からとなっていて、気持ちを抑えながら古い階段を上りました。

どんな絵か分かっているだけに、それを直視できるか胸がざわつきます。

階段を上がったところに丸木夫妻のメッセージが書かれていました。

”自分たちは30年かけてたくさんの人物を描いてきたが、

その何倍もの人が、ほんの一瞬で命を落としたことを知れば、まだ描き続けなければ”

といったメッセージです。

 

ひんやりとした2階の展示室から、大画面の屏風に描かれた「原爆の図」が始まりました。

 

恐ろしいのに目をそらせず、凝視してしまう絵

「原爆の図」は一言でいうとそんな絵でした。

1部から時系列に構成された絵が、その時、何が起きていたのかを物語ります。それぞれの絵に添えられた俊さんの解説文が語りかけてくるようで、まるで紙芝居を見ているようです。

 

描かれているのは、ひたすら人、人、人びと。

全身傷だらけの人、瀕死の人、すでに息絶えた人たち、

それらが生生しく描かれているのに、立ち止まり近づいて、目を凝らし見てしまう。

 

しんとした展示室の中でにいて、

人の叫び声や泣き声、焦土の地面の熱さや蒸した空気、ねっとりとした熱風、

人が朽ちていく汚臭が、周囲に満ちているような錯覚がしてくる。

 

見たくない、こんな光景は見たくないと感じながら見て、

解説文を読み、そしてまた見上げる。

マスクの下で歯を噛み締めて、1枚の絵の前に何分も立ち尽くしてしまう。

涙は出ない、でも、何か、もの凄く怖い。

 

建物や風景、モノは一切描かれず、ただ黒と赤の墨の濃淡だけで、描かれた群像。

単色で線で描かれていることで、恐ろしさと悲しさが押し寄せてきます。

これか写実絵画だったら、こんな凄惨な光景の絵は、とても直視できない。

でも、「原爆の図」はそれを見せる凄さがありました。

 

丸木位里丸木俊夫妻の絵

東京で活躍をしていた二人は、1945年に広島で原爆が投下されると、その数日後に位里の出身地だった広島へ駆けつけました。

そして、そこで投下後間もない惨状を目撃し、自分たちが目にした光景を「原爆の図」に描く共同作業を始め、傷つきボロボロになった群像を30年以上描き続けました。

 

丸木美術館に展示されている絵は、広島の原爆以外にもテーマがあります。

アウシュビッツだったり、水俣病だったり、南京大虐殺であったり。

どれも戦争や兵器、社会の暴力をダイレクトに伝えていて、締め付けられます。

 

美術館をあとにして

建物の外に出たら、2020年の8月でした。

蝉がミンミン鳴いていて、濡タオルを頭から被っても、暑さが突き刺さってくる。

 

75年前の夏も、こんなに暑かったんだろうか。。。

8月のあの日も、こんな風に太陽が照りつけていたんだろうか。。。

 

平時は繁忙期で忙殺されている夏、

こんな年にならなければ、改めて考えることもないままに過ごしていたと思います。

 

自分がどんな姿になったのか、死んだことすら分からずに逝った人々、

他人の手で生きることを断ち切られた人々のことを、その無念さを背負いながら、また20分の道を駅に歩いて帰りました。

 

丸木美術館アクセス

<<電車の場合>>
利用駅:東武東上線 東松山駅森林公園駅つきのわ駅

森林公園駅 南口より(約3.5km)
タクシー 約12分
徒歩 約50分

東松山駅 東口より(日祝除く)4番乗り場より市内循環バス
「唐子コース」(日祝運休) 約15分
「丸木美術館東」で下車し、徒歩約15分
【バス時刻表】(2020年7月〜)
8:45、10:10、11:10、12:10、14:30、15:35

つきのわ駅より(約2.5km)
徒歩 約30分

 

 私はつきのわ駅から歩いて行きましたが、東松山駅からバスで行くこともできます。