人は生きている限り、いつのタイミングでも何かを始めることができると思っている。
でも今の私に、できないことが、たった一つ。
生物として自分の細胞を受け継ぐ「人」を創ること。
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バルブ絶頂期に大学時代を過ごし、4年間で大学を卒業し23歳で就職した。
でも、就職した先で「私の場所はここじゃない」と思いに駆られて、
飛び出すように、26歳で海外添乗員になった。
覚えなければならないこと、勉強しなければならないことが山のようにあった。
降りたことのない空港、駅、
歩いたことのない街、見たことのない教会、遺跡、美術館、
初めてのレストラン、食べたことのない料理、ワイン、お酒、ローカルなお土産、
歴史、文化、風土、言葉、音楽、逸話。。。
地元のドライバーだけのバスツアーでは、現地のロードマップを買い、
ガイドのいない街を案内する時は、紀行本の写真で街の景色を頭に叩き込んだ。
英語ガイドの時は、訳が間違わないように日本語と英語で歴史や建物を覚えた。
それでも初めての場所は、十分に案内できない。
お客様にとっては、たった一度の旅行なのに。。。
「初めてで、ごめんなさい」
毎回、後悔と反省を繰り返して、次はもっといいツアーにしようと準備をする。
日本の些細なニュースも見る暇もなく、
年末の特番で知らない間に、色んな出来事が起こっていたことに驚いたりする。
スースケースを引いて飛行機に乗り、帰国して準備しては出掛け、
いつしか都内の地下鉄と同じくらい、ロンドンやパリの地下鉄網を覚え、
名古屋で迷子になるのに、ローマを地図なしで歩けるようになっていた。
今いる自分の場所を顧みたり、立ち止まったりする時間はなかった。
そして、どんな地域でも行ける、どんなツアーも作れるようになった頃、
私は30歳を越えていた。結婚も出産もしてなかった。
結婚したくなかったわけじゃない。
20代の頃、結婚したいと思った人もいた。でも、そうはならなかった。
子供が欲しくなかったわけじゃない。
でも、幸か不幸か、妊娠することはなかったし、当然、出産もしなかった。
35歳で結婚して、43歳で離婚した。
8年間暮らしていたけど、やっぱり幸か不幸か、子供を持つことはなかった。
いたらいいな、と思ったことはある。
どんな名前を付けようかな、こんな風に育てたいな、
なんて想像したこともある。
でも、ある時、父親に望まれない子供は産まないと決心した。
結果、持たなかったのは、幸だったに違いない。
1人になったら、待ち構えていたように、仕事のフィールドが一気に広がった。
それが、面白くて楽しくて、期待されると頑張って、褒められると嬉しくて、
チームも責任もできて、自信もプライドもついて、
走り続けていたら、50代になっていた。
そして、その間に、生物としての繁殖能力を失った。
なんだか、不思議な感覚だった気がする。
悲しいとか、ショックとか、というのではなくて、
自分の身体や人生の中に、一部空白ができたような、そんな感じがした。
ああ、そうだったな。
私、女で人を創る機能を持って生まれたのに、使わずじまいだったんだな。
私の人生の見取り図の中で、この項目は、これからもずっと空白なんだな。
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人は生きている限り、いつのタイミングでも何かを始めることができると思っている。
どんな時でも、遅すぎることはないし、そうしたいと思うタイミングが機なのだと。
年輪みたいに月日を重ねることで、鈍く磨かれて輝くものがあると信じている。
でも、できないことが、たった一つ。
生物として自分の細胞を受け継ぐ「いきもの・人」を創ること。
どんなに、自分の身体機能を保っていても、
どんなに教えられることがたくさんあっても、もう、生物として絶対にできない。
そう思うと、自分の生きてきた時間に後悔はないけれど、残念な気持ちになる。
年齢を重ねて寛容になったからか、
誰かの出来ないを見守れるようになったからか、
季節や、自然や、宇宙を美しいなぁと、心から思えるようになったからか、
この世界にまったくの白紙で現れた小さな「人」が、
初めての音を、
初めての温度や湿度を、
初めての風や雨や雪を、
感じて記憶して「人間」になっていく、
その一回しかないすべての初めてを、
一緒に体感できたら、どんなに楽しいだろうと思う。
きっとその最中にいる親たる人は、たくさん迷って育てているんだろうと思う。
でも、その小さないきものが言葉と音の違いに気づき、言葉の意味を知り、自分の言葉を発し、
自分の感覚で感じて、たくさんのシノプスをその小さくて柔らかな頭脳に刻んで、
そうして、日々大きくなっていく。
昨日よりも、確実に今日は大きくなって、明日はもっと大きくなる。
その奇跡を、それができる人に、今、楽しんで欲しいと本当に思っている。